長年同じゲームをプレイしていると、そこで多くの出会いと別れを経験することになります。
MMOだからなのか、FFXIが特別そうなのかはわかりませんが、ヴァナでの出会いと別れは私にある種独特な感情を抱かせます。

FFXIを始めた当初は出会いに満ちていました。
時期的にもFFXIが上り調子でしたし、プレイヤーも多く、私も(おそらくみんなも)若かったですからね。
濃い出来事が毎日のように起こり、その渦中で後も苦楽を共にする人々と出会っていました。
今思い返すとまるで必然であったかのようですが、もちろんそうではない訳でして、だからこそ貴重だったのだと改めて感じます。
出会いあれば別れあり。
程なくして、私も別れを経験していく事になります。
濃い時間を過ごした仲間との別れは辛いものです。
当時のゲーム内での別れは、文字通り今生の別れ。
いつでも復帰出来るとはいえ、本人がその気にならなければ二度と共に時間を過ごす事は出来なかったのです。
リアルであれば先に友人関係が有り、娯楽はそこに付随するものでしかありません。
人と人とが密に関わるゲームではそれが逆転し、娯楽に付随する形で友人関係が構築されます。
喧嘩別れでもない、転校や卒業でもない、転勤や転職でもない、特殊な環境で出会った我々は別れもまた特殊なのでしょう。
所詮はゲーム内の関係、美化するつもりはありません。
しかし、狭い世界での出会いと別れには我々にしか分からない感情があったと思います。
そんな独特な出会いと別れを繰り返して十余年、最近は別れに直面するとノスタルジーと感情の麻痺のような感覚に襲われることがあります。
歳をとったから?
経験によって感情のコントロールを無意識に行っているから?
それもあると思います。
ですが、ゲーム内の関係を外へ持ち出せる仕組みが普及した事も関係していると感じます。
SNS、ブログ、攻略や交流サイト、これらの存在によってゲーム内の別れが今生の別れとならない時代に突入。
その結果、別れの持つ痛みが和らいだとも考えられます。
外部サイトを利用する事は、特殊な環境で構築された関係性を繋ぎ止め、感情の揺さぶりを抑える役目も果たしているのかもしれませんね。
私がブログを始めたのは、FFXIに少しでも活気を与えたい想いからでした。
ですがその根底にあったのは、急激に人口減少し狭くなるヴァナにそれでも居続けたいと願う自分と外の広い世界とを結ぶ道が欲しい、そんなエゴイスト的な考えです。
それが結果的にFFXIに活気を与えられるならと…。
4年が経過し、ヴァナの人口減少も落ち着きを見せ、SNSの積極的な利用も始まりました。
私は自分なりに作ったこの細い道を維持することがライフワーク化しています。
そしてこのライフワークとSNSの活用により、人との関係性がより広い領域で起こるようになりました。
それは出会いと別れに対する私自身の考え方も変化させていった様に感じるのです。
これまでの経験とここ数年で起こった急激な環境の変化が、ノスタルジックと麻痺の入り混じった独特な感情に繋がっているのかもしれません。
ネガティブでない別れは、外側の薄い領域で漂い、微弱なやり取りを継続できる。
最早、環境や趣味趣向の変化による別れは終わりを意味するものでは無くなったと思います。
これは同時に人間関係を広く浅くしたとも言える訳で、一概に良いと言い切れない部分もあります。
遠すぎず近すぎず、時に深く時に浅く、そんな理想的な人間関係を補助する仕組みは今後生まれて来るのでしょうか。
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コメント
星唄に乗せて歩み続ける者
11でお別れになってもメル友としてメールでやり取り出来ますし、その縁で最近復帰してくれたフレもいます。
11の「今生の別れ」はリアル都合が大半なので仕方ないんですが、あけおめメールや年数回のおふざけメールでも割と縁は続いてたりします。
2018/11/23 URL 編集
りがみり
そこを越えて今尚繋がっているのは羨ましい限りです。
2018/11/24 URL 編集
初期組
>年齢的な感受性〜
あの頃の驚きや新鮮味は今は感じづらいですね、何かあっても落ち着いてられるといか
今は戦いに明け暮れるデュナミスに囚われた魂のような状態なんでしょうか。
2018/11/25 URL 編集
りがみり
2018/11/25 URL 編集
8サバの人
PS2からSS救出しておくんだったなーと今更後悔
当時一緒に遊んだ色んな方々、何処かで元気でいて欲しいな、と思います
2018/11/30 URL 編集
りがみり
みんな元気にしていて欲しいですね。
2018/11/30 URL 編集