好きな事を語る人、嫌いな事を語る人

最近考えさせられる出来事があったので、感じたままに書いてみようと思います。



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所謂、オタクと呼ばれる人たち。
彼らは自分の好きな事を語るのが好きです。

そのジャンルに深く傾倒し、その想いや考えにはある種の奇妙さすら感じます。
しかし、そんな人たちの言葉を目にし耳にすることは私にとって苦痛ではありません。
きっと私はFFXIオタク、ゲームオタクで、好きな事を語ったり見たりすることに抵抗が無いからなのでしょう。
例え全く知らないジャンルの話題であっても、ニヤリとしたり、なぜかほっとすることすらあります。

ですが、必ずしもそういう人ばかりではないのも事実。

好きでも嫌いでもない場所に身を置き、そこで頑張り、やりがいを見出し、徐々に好きだった事から遠ざかってゆく。
それが「大人になること」のひとつだと考える人も少なくないでしょう。
一昔前であればそれは当たり前の事で、好きな事を語るのは幼稚で恥ずべき行為だとする風潮もあったと思います。

子供の頃、私の周囲に居た大人もそういう人たちでした。

あまり環境のせいにしたくはないのですが、好きな事をやれるのは子供だけであり幼稚であるとする考え方は私の中にもしっかり根付いていたと思います。
そんな私の心にひとつの疑問を抱かせたのが、父の釣り好き。
釣りについて語るときの父は恥ずかしそうで、でも嬉しそうでした。
私は釣りに全く興味ありませんでしたが、そんな父の様子を見て、あぁ大人になっても好きな事をしていいんだと感じ取ることがができたのかもしれません。

好きな事をするために、好きでも嫌いでもない事に身を置き頑張る。
そんな生き方もあっていいはずです。



今でも、いい歳をしてゲームなんて…と恥ずかしくなることがあります。
ですが、好きな事をエネルギッシュに語る多くのオタクたちを見ていると、それも悪くないと思えるのです。
ほっとするのはそのためかもしれませんね。

プラスよりもマイナスを強く意識してしまうのは、きっと私だけではないはず。
これは人としてというより、生物として当然のこと。
美味しそうな食べ物の獲得を優先し、その危険性を軽く考える生物が生き残れるはずがないのです。
しかし現代の人間社会においては必ずしもそうではありません。
マイナスの脅威が減少したのであれば、プラスに身を置きプラスを強く意識して生きていくのも悪くない。
私はそう考えています。
最初からそうなのか、「大人になる」過程でそうなったのかはわかりませんが、好きな事が無い人たちも確かに居て、その中には何故嫌いなのかどのように嫌いなのかから入ろうとする人も存在します。
好きな事が無いのですから、当然と言えば当然でしょう。

そして、そういった人々の嫌いという武器は、あらゆるジャンルの好きに対し大きな力を持ちます。

そんな嫌いから入る大きな力も、通信網とSNSの発展により好き同士が強く結びつくことで弱まっていると感じます。
これが良い事なのか悪い事なのか私にはわかりません。

バランスが崩れ、好きから入る力が強大になったとき、我々は嫌いから入る力を求めるようになるのでしょうか。
それとも、異なるジャンルのオタク同士が結びつき、より大きく強い前向きな力を発揮するのでしょうか。
大袈裟かもしれませんが、生物の進化や発展に関与する変換点のようにも感じてしまいます。
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コメント

クロエ

好き嫌いのある人が好きです。中間的な人は面白くない(・_・;

クロワッサン

度合いもかなりあると思います。
自分はほぼFF11しかやりませんが、ゲームをやりつつ尚且つブログまでなんて面倒くさくてやれません(笑)

なのでゲームしつつブログで細かいことまで書けるのはかなりのオタクかもしれません!

りがみり

Re: タイトルなし
【好き嫌いのある人が好きです。中間的な人は面白くない(・_・;】
好き嫌いがあるのは人として当然だと思います。
しかし、如何に嫌いなのかを語ると否定論へ達する事が往々にしてありますよね。
どんなに嫌いであってもそれを否定にまで高めてはいけないと私は考えています。
自分の嫌いは誰かの好きかもしれないし、自分の好きは誰かの嫌いなのかもしれないのですから。


【なのでゲームしつつブログで細かいことまで書けるのはかなりのオタクかもしれません!】
確かにハードな方のオタクかもしれませんw

通りすがり Lv.忘れた

No title
ご無沙汰しております。通りすがりのくせにご無沙汰ってなんだよと思いますがww
11ができない環境になってしまったためにしばらく来てなかったんですが、りがさんのところだけはまた最近たまに覗くようになりました。

本題。
僕が思うに、好きがあるか否かはその人自身の充実ぶりに影響される面が大きい気がするんですよ。
一概には言えませんが、早い話が人生がうまく行ってない(仕事・恋人・金銭面その他)人は、
純粋に他人が楽しんでいる様が疎ましく感じて、単純に「楽しんでいる人が面白くない」から嫌い、
なので何でも嫌いから入っちゃうのかな、って。
自分にも少なからずそういう面はあります。公衆の面前でいちゃつくんじゃねーよとかw

そういう日常に対する鬱憤が積もってくると、心の中心地が嫌いに寄っていくんだろうと思うんですよ。
素直に好きを楽しめるのは、それだけある種の心の余裕があるんだろうとも思います。
それは裏返せばその人の望みの高さに比例するものでもあるので、
(一般論として)満たされやすい人は好きが多いし、満たされにくい人は嫌いが多い。
ただそれも「好きが多いから満たされやすい」のか、「満たされやすいから好きが多くなる」のか、
ニワトリタマゴ的な面もあって難しいですね。

うまくまとまりませんが、
おそらく「通信網とSNSの発展により好き同士が強く結びつくことで(嫌いが)弱まっている」ように感じるのは、
ネット上で接する人たちがそう見える=ネットで発信する人はそう見えるということで、
その裏側にいるネットで何も言わずに不満を抱える人たちはやはり多くいて、
なんだかんだでバランスが取れているような気がしますね。なんとなくねw

「好きが強くなって嫌いが弱くなった」のではなくて、
「好きが可視化されやすくなって相対的に嫌いが可視化されにくくなった」のかもしれません。
ネットは同じ価値観の情報を見る傾向にあることもその流れを助けてるんじゃないかな、と。

長文失礼しましたm(_ _)m

りがみり

Re: No title
お久しぶりです。

確かに、その人の現在置かれた状況というのも多分に影響していると思います。
「金持ち喧嘩せず」なんて言葉もありますしね。
不満を吐き出したツイートがバズったり、不満を笑いに変えた表現が受けたりするのも、不満を抱えている人が多い証拠でしょう。

問題はその言い方や発信の仕方かなと。
嫌いな事を嫌いと言っている内はいいのですが、それを否定にまで高め始めたら危険なサインだと考えています。
私も不満をたくさん抱えていますし、金銭的にも厳しい生活を送っていますが、それを上手く笑いに変えられる人間になりたいです。
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